2017年8月1日、ビットコインはひとつの通貨から二つの通貨へと分かれた。
それまで同じ「ビットコイン」として扱われていた運用システムが分裂し、元のビットコイン(BTC)と、新たに誕生したビットコイン・キャッシュ(BCC、後のBCH)が、それぞれ別の通貨として流通を始めたのである。
この出来事は単なる技術的なアップデートではなかった。
背後には、数年にわたる激しい意見対立と、ビットコインという分散型ネットワークが抱える根本的な課題があった。それは「スケーラビリティ問題」──増え続ける取引をどう処理し、ビットコインの価値と理念をどう守るのか、という問いである。
当時の議論は、ブロックサイズを拡張して処理能力を上げるべきか、既存の容量を保ちながら効率化するべきか、という二つの路線で真っ二つに割れていた。利便性と分散性、短期的利益と長期的安定性。どちらを優先するかで、開発者、マイナー、取引所、そしてユーザーまでもが巻き込まれる「ビットコイン史最大の内戦」となったのである。
本記事では、この「ブロックサイズ戦争」がなぜ起き、どのような経緯で分裂に至ったのか、そしてその後のビットコインにどんな影響を残したのかを整理していく。
何が問題だったのか?──ブロック容量というジレンマ
ビットコインの取引量は、2010年代半ばにかけて急速に増加した。誕生当初は数秒で承認されていた送金が、次第に数分から時には数時間もかかるようになり、さらに送金手数料も高騰していった。その背景には、1MBというブロックサイズの上限があった。
1MBの壁
ビットコインは、約10分ごとに「ブロック」と呼ばれる取引データの塊を生成し、それをチェーン状につなげて記録していく。このブロックの容量が1MBに制限されており、同時期に殺到する全ての取引を収めることはできない。結果として、処理待ちの取引が積み上がり、承認の遅れや手数料の高騰が発生した。
二つの解決策
この問題に対して、ビットコインコミュニティでは二つの異なる解決アプローチが提案された。
データ圧縮による効率化(Segwit導入)
- 取引データの署名部分をブロック外に移すことで容量を節約
- ブロックサイズは維持しつつ、実質的な処理能力を向上
- 主にコア開発者が支持
ブロックサイズ自体の拡大
- 1MBを2MBや8MBに拡張して取引を一度に多く処理
- 容量増加により、ネットワーク全体の要求性能が高まる懸念も
- 主にマイニング業者が支持
対立の激化
この議論は2014年頃から続いていたが、2017年夏に向けて対立は決定的になった。理由は、技術論争だけでなく経済的利害が絡んでいたからだ。
Segwitを導入すると、特定の取引形式でマイナーが得られる手数料機会が減少する可能性があり、一部のマイナーは強く反発。逆に開発者側は、ブロック拡大はネットワークの中央集権化を招くとして警戒を強めた。
こうして、ビットコインは「効率化」か「容量拡大」かの二項対立に陥り、やがて分裂回避か、ハードフォーク(新通貨誕生)かという選択を迫られることになる。
コンセンサスなき世界──合意形成の困難さ
ビットコインは、中央管理者を持たない分散型システムである。だからこそ、ネットワークを変えるためには世界中の関係者の合意(コンセンサス)が必要になる。しかしこのコンセンサス形成は、時に技術的課題以上に難しい政治的プロセスとなる。
折衷案「BIP91」の登場
2017年7月23日、長らく対立していたコア開発者と一部のマイナーが妥協案としてBIP91を受け入れることで合意。
- Segwitを導入して効率化を進める
- 将来的にブロックサイズを2MBへ拡張する
これにより「8月1日にネットワークが停止する」「ビットコインが使えなくなる」といった最悪の事態は避けられると見られた。
中国系マイナーの反発
しかし、BIP91は全てのマイナーを納得させることはできなかった。特に中国系の一部マイニング業者は、Segwit導入によって得られるマイニング報酬の一部が減少する可能性を懸念し、強く反発。
彼らは独自のハードフォークを宣言し、Segwitを採用せずにブロックサイズを8MBへ拡大した「ビットコイン・キャッシュ(BCC)」を立ち上げた。
分散型ゆえの政治闘争
この出来事は、ビットコインが抱える根本的な課題を浮き彫りにした。
- 中央管理者がいないため、誰も「最終決定」を下せない
- 技術的正当性だけでなく、経済的インセンティブや影響力が交渉を左右する
- 合意形成が難航すれば、ネットワークの分裂という形で決着してしまう
ブロックサイズ戦争は、単なる技術論争ではなく、分散型ネットワークにおける権力闘争でもあったのだ。
ビットコイン・キャッシュ(BCC)の登場と初期の混乱
2017年8月1日、日本時間の夜。BIP91に反発した一部のマイナーが計画していたハードフォークが実行され、ビットコイン・キャッシュ(BCC)が誕生。
BCCはビットコインの名前を冠しながらも、その設計思想は大きく異なっていた。
Segwitを採用せず、8MBブロックへ
BCCの最大の特徴は、Segwitを実装しないという選択と、ブロックサイズを1MBから8MBに一気に拡大したことだった。これにより、取引データをより多く格納できるため、短期的には送金遅延や手数料高騰を緩和できる可能性があった。
しかし同時に、ネットワーク維持に必要なハードウェア性能や通信帯域が上がるため、フルノードを運営できる参加者が減少し、中央集権化のリスクが懸念された。
初期価格とマイニング遅延
分裂直後、BCCの市場価格は1BCCあたり約400米ドルで推移。事前予想の600ドルより下回り、BTC(当時約2,700ドル)の1/6程度だった。さらに深刻だったのはマイニング遅延である。通常1ブロックあたり10分前後で生成されるはずが、BCCでは数時間かかるケースもあり、決済の遅れが顕著となった。
マイナーの移行は限定的
BCC立ち上げの中心となった中国系マイナーの一部はBCCに移行したものの、当初想定ほどの規模ではなかった。そのためハッシュレート(採掘速度)が安定せず、取引承認も滞る事態が続いた。
その後のシナリオ──2025年時点でのビットコイン・キャッシュ(BCH)
ビットコイン分裂から8年が経過した今、ビットコイン・キャッシュ(BCH)は残存しつつも、大きな勢力ではなくなっている。以下、2025年現在の状況を踏まえた“現実ベースのシナリオ”を整理した。
市場規模と存在感:依然として小規模な“フォーク通貨”
- ビットコイン(BTC)の時価総額は約2.38兆ドル(2025年8月時点)と圧倒的な規模感。
- 一方、BCHの時価総額は約123億ドル前後と、BTCと比較すると極めて小さい規模に留まっている。
- 投資家ガイドでも「技術面での改良はあったものの、創設以来大きな支持を得られていない」という評価が繰り返されている。
2025年時点で見える3つの実像
シナリオA:BCC(BCH)は限られた支持層の中で細々と生き残る(現実的確率 80%)
- 現在もリスト上位の暗号資産として取り扱われており、一定のマーケットアクセスと流通は継続中。
- ただし、典型的な「決済通貨」としての用途は限定的で、主な流通は投機や一部のファンドによるものにとどまっている傾向が強い。
シナリオB:BCHは再び技術的優位性を示す可能性は低い(現実的確率 15%)
- 価格予測では、2025年末でも600ドル強という「平衡的なレンジ」が繰り返し提唱されている。
- 取引スループットやブロック容量の優位性を掲げるものの、BTCの圧倒的なエコシステムや認知度の前に影響は限定的。
シナリオC:BCHがBTCを超えるというのは現実的ではない(現実的確率 5%未満)
- 技術や理念面における差分はあれど、投資・採用・信頼というポイントでは依然としてBTCが断トツ。
- そのため、「BCCがBTCを凌駕する」という未来は、ほとんどの専門家が非現実的と見る状況にある
2025年現在の比較

2025年という現在地点から振り返ると、「ブロックサイズ戦争」はその結果としてBTCとBCHの“共存だが圧倒的不均衡”という形で終結したといえます。BCHは存在し続けてはいるものの、BTCとの競争や代替という立場にはなれず、持続的な成長路線にも乗っていません。
ブロックサイズ戦争が遺した教訓
2017年の「ブロックサイズ戦争」は、単なる技術仕様の違いによる分裂ではなく、分散型ネットワークのガバナンスと経済的利害が正面衝突した事件だった。2025年の現在から振り返ると、この分裂はビットコインの未来に多くの示唆を残している。
分散型ガバナンスの限界と現実
ビットコインは中央管理者がいないことを最大の強みとしてきた。しかしその一方で、コンセンサスを得るプロセスは政治そのものであり、関係者の経済的インセンティブや影響力によって容易に硬直化することが明らかになった。
ブロックサイズ戦争は、分散型システムにおいても権力構造が存在し、意思決定は純粋な技術論ではなく政治的交渉によって左右されることを示した。
技術優位だけでは勝てない
BCC(後のBCH)は、大容量ブロックによる高速決済という明確な技術的利点を掲げて登場した。しかし、技術的優位は必ずしも市場の覇権を保証しない。
BTCは依然として「価値の保存手段」としてのブランドとエコシステムを強化し続け、ハッシュレート・取引所上場数・開発者コミュニティ規模など、ネットワーク効果のすべてでBCHを凌駕した。
市場は安定性と信頼を重視する
短期的には手数料や処理速度が重視されても、長期的にはセキュリティ・信頼性・予測可能性が評価される。BTCは保守的なプロトコル変更を選び、その安定性が投資家や機関に支持される結果となった。
逆にBCHはたびたび仕様変更や内部対立を経験し、それが投資家の信頼を削ぐ一因となった。
歴史の記憶が果たす役割
ブロックサイズ戦争の記憶は、ビットコインコミュニティにとって「合意形成の失敗例」かつ「自浄作用の一例」として残っている。
分裂はネットワークを危うくするが、同時にそれは中央集権的決定によらずに方向性を選べるというビットコインの特性の裏返しでもある。
まとめ
ブロックサイズ戦争は、
- 分散型システムにおける意思決定の難しさ
- 技術力と市場支配力の関係
- 信頼とブランドの重要性
を同時に浮き彫りにした。
2025年の視点で見れば、この戦争はBTCの優位を確固たるものにし、BCHを「生き残るが主流にはならない通貨」と位置づけた分岐点だったといえる。
おわりに:分裂の記憶を、未来のために残す
2017年8月1日の分裂は、ビットコインの歴史に刻まれた忘れがたい瞬間だった。
それは技術の進化を巡る意見の相違から生まれたが、その裏側には、経済的利害、影響力の争い、そして分散型システムに固有の意思決定の難しさがあった。
2025年現在、ビットコイン・キャッシュ(BCH)は依然として存在しているが、その立場は限られた支持層に支えられるニッチな存在に留まっている。一方でビットコイン(BTC)は、市場の信頼と圧倒的なエコシステムを背景に、暗号資産の中で揺るぎない地位を築いた。
この「ブロックサイズ戦争」の記憶は、ビットコインを巡る将来の議論においても重要な指針となる。
分散型ネットワークの強みは、誰もが参加でき、誰もが意見を持てることだ。しかし、その強みは同時に、意見の不一致が深まったときに分裂を招くリスクでもある。
だからこそ、この歴史を忘れてはならない。
それは単なる過去の争いではなく、「ビットコインはどこへ向かうべきか」という問いへの、終わりのない対話の始まりなのだ。
引用:8月1日に分岐したビットコインの行方についての一考察


